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この著作は人類学から派生して研究されていた構造主義を踏まえつつ、精神科医のジークムント・フロイトにより主張されていた学説に対して批判を加える哲学的な研究であった。ドゥルーズとガタリは1968年にフランスで五月革命が発生した後に出会い、この著作をはじめとして『千のプラトー』、『カフカ』、『哲学とはなにか』を共著で発表している。それまでドゥルーズは西欧で前提とされてきた形而上学を批判し、ガタリは従来の精神医学の革新を主張していた。この著作では人間の精神、経済活動、社会、歴史などさまざまな主題を扱っており、全体としては4部から構成されている。  この研究では題名でも示されている通り、フロイトが主張したエディプス・コンプレックスの学説に対する反論として読むことができる。ここで議論の中心となっているのが人間の欲望の概念である。フロイトは人間が児童から大人へ移行するときや、社会が未開状態から文明状態へと移行するときにおいて、欲望がどれほど抑圧されているかを判断の基準においていた。つまり欲望を抑制するほどに人間は大人であり、社会は文明状態であると判断していた。したがって、人間の欲望とはエディプス・コンプレックスという欲望の抑圧を家族という社会的単位に留める装置が働く中でしか是認されないと考えられてきた。このような欲望の概念は近代においてルネ・デカルトやトマス・ホッブズが人間に備わっている情念のある主の実体を指す考え方に根ざしたものであった。ドゥルーズとガタリはこの説に対して欲望の概念を再検討し、欲望とはそれ自体で成立している実体ではなく、ある関係の中で存在するものであると考えた。そして、欲望をさまざまな事物を生産する機械として定義している。この見解によれば、エディプス・コンプレックスは人間が原初的に備えているものではなく、社会的な発明によるものである。...

批評家浅田彰が雑誌『中央公論』や『現代思想』等に連載した論考をまとめた本。1983年に勁草書房から刊行された。デリダやフーコー、ドゥルーズらのテクストを参照した、フランス現代思想(構造主義、ポスト構造主義)を解説した難解な内容にもかかわらず、ベストセラーとなる。  プレモダン、モダン、ポストモダンを、チャート式のように図解している。  ソシュールの構造主義を踏まえ、王やゼロ記号、国家の分析も含んでおり、「二つの教室」という独自のメタファーを紹介。  本書をふまえて、東浩紀は1998年に「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて」を執筆した。その帯に浅田は自作は過去のものになったと(皮肉混じりながらも)書いた。...

今世紀における思想の危機、人間の危機とはいったい何を意味するのか? 文化人類学、言語学、精神分析学等の試みの基盤を精密な論証によって明示する革命的大著。

ベンヤミンは優れた芸術作品を前にして人が経験するであろう畏怖や崇敬の感覚を指して「アウラ」という語を用いた。従ってアウラは原始的・封建的・ブルジョワ的な権力構造や、さらには魔術や(宗教的または世俗的な)儀式と芸術との伝統的な結び付きを示すものである。 「世界史において初めて、機械的な複製は芸術作品を儀式への寄生的な依存から解き放った」とベンヤミンは書いた。  他のフランクフルト学派の著述家たち、とりわけベンヤミンの友人テオドール・アドルノは、結果としてもたらされる大衆消費に典型的な「散漫な」芸術との関係を心配し、アウラの喪失によって、革新的な省察や創造たり得るものの余地までもが失われるのではないかと論じた。対照的に、ベンヤミンはアウラの喪失はもっと複雑な歴史的展開であり、文化的事物との接触と、それらへの批判的態度の双方を民主化する可能性を持った曖昧な力であると論じた。「儀式に基づく代わりに、(芸術は)別の実践に基づこうとし始めている――政治である。」ベンヤミンにとって、社会のコントロールのために政治を美化するファシズムとは対照的に、芸術の政治化が共産主義の目的でなければならなかった。...

  「この病は死に至らず」という新約聖書ヨハネによる福音書第11章4節の言葉を紹介する所から話が始まる。これはイエス・キリストがラザロについて述べたものだが、それにも拘わらずラザロは死んだ。キリストの言葉を正しく理解しなかった弟子達にイエスは「ラザロは死んだ」と述べた。だがこの病はラザロの死因とはならなかったのだ。キリストが当時の人々に「もし信じたら神の栄光をお見せしよう」と言った。キリストがラザロを蘇らせるという奇跡を連想させるが、実際にはラザロは蘇らなかった。  ここでキルケゴールは次の様に述べる。病だけでなく、死そのものでさえ、ラザロの死因にはならなかったのではないか。キリストがラザロの墓の前で「ラザロよ、出で来たれ!」(第11章43節)と叫んだだけでこの病は致命的ではなかったと言えるのではないか。たとえラザロが蘇ったところで、遅かれ早かれいずれは必ず死んでしまう。ならば彼にとって生き返る事に何の意味が在るのか。  そしてキルケゴールは続ける。人間的に言えば、死は全ての終わりであるが、キリスト教的に言えば死は終わりではなく、永遠の生命にしてみれば全体の極一部でしかない。だから苦痛を感じている人が「死ぬより苦しい」と真情を吐露したところでそれは「死に至る病」ではなく、キリスト教的には死でさえ「死に至る病」とは言えないのだ。  では何が「死に至る病」なのかと言うと、人間が人間として認識し得ない悲惨なのだとキルケゴールは指摘する。キリスト者と異教徒との関係は、大人と子供との関係に等しく、大人は何を恐れるべきかを知っており、その他の危険が気にならなくなって真の勇気を手に入れたと書いている。そして、その「死に至る病」とは絶望の事であり、本書に於いてキルケゴールは絶望には三種類あるとして、それらについて更に細かく分析している。 ...

本書は、レヴィ・ストロースが本書を発表する以前の著作『親族の基本構造』(1949年刊)と後に発表する著作『神話論理』(1964 - 71年)のあいだに位置づけられる。同年に『今日のトーテミスム』も発表されているが、該書は本書の「歴史的批判的序説」に当たるとされ、相互に緊密な関係にある。  この著作はパリで出版された当初から1960年代にわたり、人類学の研究にとどまらず構造主義思想の勃興を促した。レヴィ・ストロースは自然環境において具体的な事物を一定の記号として扱う思考、すなわち野生の思考を本書の主題にすえて、文明社会において発達した科学的思考と対比しながら考察を進めた。  野生の思考とは、ありあわせの素材を用いて入り用の物を作る場合(ブリコラージュ)に例えられ、器用人の思考様式と特徴づけられる。それは眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を有す別の事象群を連想しつつそれらを再構成する。そして、それらの事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せる。それは理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なもので、両者の相違について科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」であるとレヴィ・ストロースは考えた。  例えばオーストラリアのニューサウスウェールズのある部族はトーテムとしてコウモリを持ち、別の部族はキバシリを持つ場合、レヴィ・ストロースはそれら動物と部族とに実際的直接的な関係はないとする。それらの動物は一方が狩り、もう片方が盗むという行為をなすため、野生の思考によってその特徴と部族間の社会的な関係とが関連づけられ、それら部族のトーテムにされたと考える。このことから分かるように、レヴィ・ストロースは野生の思考を比喩に基づく類推法の論理で成り立つと論ずる。...

『純粋理性批判』は、理性認識の能力とその適用の妥当性を「理性の法廷」において理性自身が審理し批判する構造を持っている。ゆえにそれは哲学(形而上学)に先立ち、理性の妥当な使用の範囲を定める哲学の予備学であるとカントはいう。  カントは理性 (Vernunft) がそれ独自の原理 (Prinzip) にしたがって事物 (Sache, Ding) を認識すると考えるが、この原理は経験に先立って理性に与えられる内在的なものであり、理性自身はその起源を示すことが出来ず、またこの原則を逸脱して自らの能力を行使することも出来ない。換言すれば、経験は経験以上を知り得る事ができず、原理は原理に含まれる事以上を知り得ないのである。カントは理性が関連する原則の起源を、経験に先立つアプリオリな認識として、経験を基礎とせず成立しかつ経験のアプリオリな制約である超越論的 (transzendental) な認識形式にもとめ、それによって認識理性 (theoretische Vernunft) の原理を明らかにすることにつとめる。  初学者向けの解説: すなわち「認識する」とされる理性そのものは、理性からは認識できる範囲外にあることを原点とした。「コペルニクス的転回」を見せたのである。...

全十二章を構想し、戦後の約半世紀を費やして執筆されたが、第九章まで書き進められたところで未完のまま終わっている。当初の構想では、釈迦と大雄(ヴァルダマーナ、ジャイナ教の創始者)の議論までが書かれるはずであった。なお、巻頭のエピグラム「悪意と深淵の間に彷徨いつつ/宇宙のごとく/私語する死霊達」は『不合理ゆえに吾信ず』からの自己引用であり、『死靈』は文字通り埴谷の文学的探求の根源から存在する問題意識を小説・物語の形を借りた議論によって形象化しようとした壮大なものであった。  『死靈』は、『近代文学』誌上に1946年1月号から49年11月号にかけて第四章までが連載され、ここで筆者が腸結核を病んだ事情もあって中絶した。長いブランクを経て第五章が、1975年に『群像』で発表され、以後は『群像』誌上で続編が掲載されていった。1976年、日本文学大賞を『定本 死靈』で受賞。以後の単行本は、講談社から順次刊行され、1998年2月から刊行開始された『埴谷雄高全集』第1回配本の第3巻に、『死靈』全編及び第九章未定稿が収められている。埴谷自身、文庫判は1世紀以上経っている作品のみとすべきとの考えから、生前は自らの作品を決して文庫に入れようとはしなかったが、2003年に講談社文芸文庫で刊行された。  自身は、第九章脱稿時に、全九章及び第九章未定稿をもって『死霊』を完結としたが、友人本多秋五らの説得によって第九章未定稿部分を撤回し、『死霊』は未完という形で終わらせた。なお、第九章の完結後、「『死靈』断章(一)~(五)」として続稿、ないし遺漏稿と思われるアフォリズム的小文は、『群像』1996年8月・9月・11月・12月号、翌'97年4月号に掲載された。これらの断章は『埴谷雄高全集 11巻』にすべて収められた。...

オーストリアの心理学者フロイトは精神分析を提唱し、1915年から1917年にかけてウィーン大学で一般向けに講義を行った。本書はその講義の内容が編集をへて収録されている。その構成は第1部「錯誤行為」、第2部「夢」、第3部「神経症総論」、そして精神分析入門の続編から成り立っている。  フロイトは精神分析の研究を講義するために錯誤行為の知見を導入する。錯誤行為とは意図した行為とは異なる行為を行ってしまうことである。この現象を説明するためにフロイトは心理における葛藤のモデルを用いて錯誤の原因を明らかにしようとする。錯誤行為を心的行為であると把握すれば、錯誤行為は二つの意図の葛藤の表出であると考えられる。つまり何かをしようとする意図が存在するにもかかわらず、それを抑圧することが錯誤行為を行う不可欠の条件である。  フロイトは続いて夢の分析を行っている。夢をみる本人の心理には無意識の領域があると考えれば、夢と無意識との関係が問題となる。フロイトは夢を無意識的なものを歪曲した代理物として見なしており、夢を解釈する目的はこの無意識的なものを発見することと定められる。そもそも夢は願望を直接充足させるものであり、同時にそれは歪曲されて表出されるものである。つまり夢は睡眠を妨げる願望を幻覚的な充足により解決する心的作用である。  また神経症についての概説でフロイトは神経症の症状に対して精神分析のアプローチはどのような着眼点を提供するかを論じている。精神医学にとって神経症は患者の無意識が発現したものであり、錯誤行為や夢のように意味があると考える。...

80年代の思想潮流は本書によって創られた密教の実践的研究が現出させた、チベット高原の仏教思想と現代思想のスリリングな出会い――。思想の大海を軽やかに横断しつづける著者の代表作。

本書は、観念論の立場にたって意識から出発し、弁証法によって次々と発展を続けることによって現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を段階的に記述したもの。カントの認識と物自体との不一致という思想を超克し、ドイツ観念論の先行者であるフィヒテ、シェリングも批判した上で、ヘーゲル独自の理論を打ち立てた初めての著書である。難解をもって知られ、多くの哲学者に影響を与えた。  ヘーゲルの哲学大系の中では、「精神現象学」とは「意識」を問題とする哲学の分野である。「精神現象学」の領域における「意識」の発展を、ヘーゲルの弁証法に基づいて示せば、   意識そのもの  自己意識  理性  の3段階を示す。「意識そのもの」の段階では、「感性的意識」から「知覚」へ、そして「悟性」へと認識が深められる。次にこのような認識の主体としての「自己」が自覚され、「自己意識」が生じる。この「自己意識」と同質な意識を他者にも認めることによって、他人の「自己意識」をも認識し、単なる自我を超えた普遍的な、他者との共通性を持つ「自己」、「理性」の現れとしての「自己」を認識にするに至る。この過程が「精神現象学」である。  一方で『精神現象学』ではやや異なる広い意味での「精神現象学」が記述されており、前述の「理性」段階に至るまでの「精神現象学」に続いて、「客観的精神」「絶対的精神」をも考察の対象に含める。つまり「意識」あるいは「主観的精神」のみならず広く「精神」一般をその対象に含む。  本書の原題は「学の体系 」(System der Wissenschaft)であって、ヘーゲル哲学体系の総論ないし導入として執筆されたものであるが、後に出版されたエンチクロペディーでは、精神現象学に対応する章はない。...

経済学最初の体系的叙述として、古典中の古典と称せられる不朽の名著。いわゆる「見えざる手」による予定調和的自由放任政策を主張した本書は、その実質において近代市民社会の科学的分析であり、後のあらゆる諸学説はここに源を発する

本書は後期ニーチェの重要な哲学的研究のひとつであり、19世紀末期におけるヨーロッパの没落を背景としながら、キリスト教的な理想に代わる超人(Übermensch)の思想が展開されている。その基本的な内容はツァラトゥストラを主人公とする物語と言える。山に篭もっていたツァラトゥストラは神が死んだことを知り、絶対者がいなくなった世界で超人を人々に教えようとする。それは不成功に終わったためにツァラトゥストラは自分の思想を理解する人を探し始めるが、結局は弟子を棄ててしまう。そしてツァラトゥストラは孤独な思索のうちに人々に対して自らの思想を語ることを控えることを決めた。こうしてツァラトゥストラは山に帰郷することになる。山の中でツァラトゥストラは何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。最後にはツァラトゥストラが再び山を降りることで物語は締めくくられている。この一連の物語においてニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。...

1867年に第1部が初めて刊行され、1885年に第2部が、1894年に第3部が公刊された。第1部は、マルクス自身によって発行されたが、第2部と第3部は、マルクスの死後、マルクスの遺稿をもとに、フリードリヒ・エンゲルスの献身的な尽力によって編集・刊行された。  「第4部」となる予定だった古典派経済学の学説批判に関する部分は、エンゲルスの死後、カール・カウツキーによって公刊されたが、『資本論』という表題に関する版権の問題、カウツキーの「独自の見解」などにより、『資本論』第4部としてではなく『剰余価値学説史』の表題で刊行された。  マルクスは、「新ライン新聞」の編集者として、物質的な利害関係を扱う過程で、次第に、社会変革のためには物質的利害関係の基礎をなす経済への理解の必要性を認識し、経済学研究に没頭していった。  1843年以来、マルクスは経済学の研究を開始する。亡命先のパリでの研究から始まり、9冊の『パリ・ノート』、6冊の『ブリュッセル・ノート』、5冊の『マンチェスター・ノート』などとしてその成果が残っている。なお、これらのノートは、いずれも『資本論』草稿ではない。  1849年、マルクスはロンドン亡命後、大英図書館に通って研究を続け、1850年 - 1853年までの成果として『ロンドン・ノート』24冊を書き上げた。これはマルクスのノート中、最大分量を占める経済学ノートであるが、この時期のノートの内容には国家学、文化史、女性史、インド史、中世史、また時事問題など、内容の異なる多くの論が併存しており、この時期にマルクスの研究が経済学批判に特化したとはいえない。...

20世紀の言語学はソシュールによって一大転回をなした。その理論は単に言語学の範囲にとどまらず、他の諸科学の方法にも大きな影響を及ぼした。訳者四十数年にわたるソシュール研究の成果を総括する。

原題は《Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences》で、「理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法序説」である。  序説と訳されるDiscoursは、Traitéが教科書のように体系的に書かれた論説であるのに対して、四角ばらぬ論考の意であり、デカルト自身がメルセンヌへの書簡で「方法の試み」であると呼んでいる。哲学的な内容はその後に出版された『省察 Meditationes de prima philosophia』とほぼ重なっているが、『方法序説』は自伝の記述をふくみ、思索の順序を追ってわかりやすく書かれているため、この一冊でデカルト哲学の核心を知ることができる。当時、多くの本がラテン語で書かれることが多い中、ラテン語の教育を受ける可能性が低かった当時の女性や子供たちでも読めるように、フランス語で書かれ、6つの部分に分かれている。  なお初版は、宗教裁判によって異端とされることを恐れて、偽名で発行された。...

エドムント・フッサールによって創刊された『哲学および現象学研究のための年報』の第8巻(1927年)において発表された。ハイデッガーはすでに師フッサールと見解の相違を見せはじめていたものの、『存在と時間』の献辞は「尊敬と友情の念をこめて」フッサールに捧げられた(ナチス政権下の1942年に刊行された第5版では削除されていた)。  序論第2章8節「論証の構図」で明らかにされる『存在と時間』の全体的構成の概要はおおむね以下の通りである。   第1部 現存在の解釈と時間の解明  第1編 現存在の基礎分析  第2編 現存在と時間性  第3編 時間と存在  第2部 存在論の歴史の現象学的解体  第1編 カントの時間論について  第2編 デカルトの「我あり」と「思う」について  第3編 アリストテレスの時間論について  このうち、実際に書かれたのは第1部第2編までにすぎず、そこで論じられているのは現存在と時間性についてである。序論以降ハイデッガーが何度も言明している「存在一般についての問い」に関する考察が書かれるべき〈本論〉は第1部第3編「時間と存在」という、書名自体にも似た標題をもつ章であると考えられるが、そこでハイデッガーが何を書くつもりであったのか、なぜそこへ至る前に中断されてしまったのかは長いあいだ謎とされてきた。...

マキャヴェッリがフィレンツェ共和国で失脚し、隠遁生活中の1513年 - 1514年に完成したと考えられており、1516年にウルビーノ公ロレンツォへの献上文を付してヴェットリ( Francesco Vettori )に託された。写本で読まれ、マキャヴェッリの死後、1532年に刊行された。  著作には表題はついておらず、友人ヴェットリへの手紙の中で「君主体制」に関する本を書いたと述べているため、『君主論』Il Principe と呼ばれるようになった。  『君主論』は全体で26章から成る著作である。  第1章において「君主政体にどのような種類があるか」と挙げ、その一つ一つについてを続く第2章から第11章までで解説する。第12章から第14章まではいかなる君主政体においても必要となる軍備について述べる。第15章から「臣民や味方に対する君主の態度と政策がどのようにあるべきか」と本来の意味での君主論に移る。マキャヴェッリはチェーザレ・ボルジアに理想的な君主の能力を見ている。第24章からは現実のイタリアに目を向ける。  当時、イタリアは多くの小国に分裂し、外国の圧迫を受けて混乱の最中にあったが、イタリア統一への願いから「統一を実現し得るのはいかなる君主か」を論じ、メディチ家への期待を述べて論を終える。...

本作での詩とは韻文文学で、今日の詩作品とは異なる。当時は散文作品は盛んでなく、韻文で文学作品のほとんどが書かれた。  ミメーシスの概念が繰り返し強調されている。「模倣」とか「再現」とも訳される。  悲劇(劇詩)を、抒情詩、叙事詩などより上位に位置づけていて、文学の最高形態であるとしている。悲劇は上演を見なくても読むだけで十分であるとの考えは、すでに写本が普及していた当時の文化状況をあらわすと過ぎないされる(岩波文庫版の解説より)。  ホメロスの偉大さは、その叙事詩が劇文学への道を切り開いたがゆえにあるとされる。...

年代的には中期に属し、そのイデア論を代表する著作の一つである。トラシュロスによる伝統的副題は「恋について」。恋とはエロース(愛)である。主な語り手は、哲学者ソクラテス、喜劇作家アリストパネス、のちの政治家アルキビアデスなど。  対話篇の設定はやや複雑であり、語り手が二重に設定されている。対話篇の内容全体は、アテナイの悲劇詩人アガトンが悲劇のコンクールで優勝し、その祝いに友人を招いて行った饗宴での会話として設定される。ソクラテスはこの出席者のひとりである。この饗宴の内容を後年、ソクラテスの崇拝者のひとりが語って聞かせるという二重の構造をもつ。標題『饗宴』はこのアガトンの祝賀饗宴を指す。...

「粋」の本質を解明した名著をやさしく読むいきとは何か? ヨーロッパ現象学を下敷に歌舞伎、清元、浮世絵等芸術各ジャンルを渉猟、その独特の美意識を追究。近代日本の独創的哲学に懇切な注・解説を施す

現象学的立場と存在論について記述された『緒論』と、意識の志向性、無化作用と無について記述された『第一部 無の問題』、対自存在と即自存在について記述された『第二部 対自存在』、他者のまなざしと自分の意識について記述された『第三部 対他存在』、一切の行動は「持つ」「為す」「ある」に集約されるとして、それを基に実存的精神分析を記述した『第四部 「持つ」「為す」「ある」』の四部構成になっている。  「あるところのものであり、あらぬところのもの」である即自存在に対して「あるところのものでなく、あらぬところのもの」である対自存在である人間的現実は、否定性、無化作用、脱自構造であり、その意識は自由であることを余儀なくされる、即ち「人間は自由の刑に処せられている」。この無化作用的自由は人間を不安にさせる、そこから自らの自由を自分自身に隠す「自己欺瞞」が生じる。一方対他関係は対自の自由が必然的に他者を客体化(まなざし)してしまうので相克的関係に留まる。しかし対自は、自由であるため、選択によって自分自身を構築してゆくため、自己のあり方に責任がある。非人間的、物質的「即自」と他者との相克関係の狭間で人間の生は「無意味な受難」と結論付けられる。  本書の『結論』において、サルトルはモラル論を次作として著することを約束するが、しかしこのモラル論はついに完成することはなかった。ただし遺稿として『倫理学ノート』(未訳)が遺されている。  70年代のサルトル忘却と共に『存在と無』も同じく忘れられていたが、近年ベルナール=アンリ・レヴィをはじめとして『存在と無』を再評価する風潮が高まっている。 日本語訳は人文書院より発行されている松浪信三郎訳。なお2007年11月よりちくま学芸文庫に収録された。...

19世紀前半のナポレオンによるロシア遠征(ロシアでの呼称は「祖国戦争」)とその失敗、アウステルリッツの戦いやボロディノの戦いなどの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の3つの一族の興亡をピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴った、登場人物500人を超える群像小説である。  ピエール・ベズーホフが、著者トルストイの分身と見られ、彼の没落していくロシア貴族から、大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様への傾倒へと続く魂の遍歴は、著者の心の動きの反映とも言われる。...

意識の流れや暗喩、自由連想などといったジョイスの文学的手法を極限まで押し進めた本書は、プロット構成や登場人物の造形に関する従来の慣例をことごとく打ち破っているばかりでなく、複雑で多面的な地口をもとにした特異かつきわめて難解な言語によって書かれている。ルイス・キャロルの『ジャバウォックの詩』とも似たアプローチであるが、その複雑さや規模の大きさはこれをはるかに凌駕する。『フィネガンズ・ウェイク』は“夢の論理の中の一夜”ということができる。『フィネガンズ・ウェイク』において『ユリシーズ』が「“usylessly unreadable Blue Book of Eccles”(どうあがいても読むことのできそうにないエクルズの青い本)」として言及されている部分は有名だが、多くの読者や批評家からこれはむしろ『フィネガンズ・ウェイク』にこそふさわしい言い回しだとされてきた。しかしその後の研究によって読者は主な登場人物の配役やプロットについての合意を得ることができるようになった。 本書における言語遊戯的な語の使用は広範な言語を結集し多言語間にわたる語呂合わせによって生み出されたものである。 また本書で提示される歴史観はジャンバッティスタ・ヴィーコの強い影響下にあり、登場人物が相互に及ぼしあう影響関係にはジョルダーノ・ブルーノの形而上学が重要な役割を果たしている。ヴィーコは、歴史が混沌とした未開状態からはじまって神政、貴族政、民主政を経て再び混沌へ帰り、螺旋を描きながら循環するという歴史観を提唱した。ヴィーコの循環的歴史観の最も明らかな影響例は、本書の冒頭と末尾に見て取ることができる。原文における最後の一節は本書冒頭の一節とつながっており、合わせて一文をなすことによって本全体に一つの大きな円環構造を形作らせているのである。...

大二病を煩った際にたしなんだ本

高校時代にはまったく興味が無かったのに、なぜか大学生になると難解な書物を開きたがる。文系大学生たちのコミュニケーションにおいて、「ああ、読んだことあるよ」の一言が何よりの武装であるからだ。
開催状況 開催中
開催期間 2012年12月10日 07:00 〜
無期限
カテゴリー 趣味・生活 > 学問
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投票総数 41
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投票できる回数 3
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作成者 非公開
公開日時 2012年12月10日 05:04
最終更新日時 2014年09月06日 00:49

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